7月に8歳になったばかりの娘のさーちゃんは、プラダー・ウィリー症候群という病気を持って産まれました。
このブログは、”食事制限のあるさーちゃんと共に、丁寧に大切に食事に向き合っていきたい”という想いを胸に作る「日々の食事」を中心とした日記になりますが、その前に、さーちゃんが産まれたときのことなどを少し書かせていただきたいと思います。
娘が産まれたときのこと
さーちゃんは産まれた翌日、哺乳力が弱く筋緊張低下、何らかの異常があると産婦人科から大学病院に運ばれました。
妊娠中も特に異常なしと言われていた私は、まだよくわかっていませんでした。
何が起こったのか、これからどうなるのか、凄く怖かった。
少し経てば哺乳力も付いてきて、何の問題もなくさーちゃんもお家に帰って、家族4人でいつもの生活を送れるかもしれない、と祈る気持ちでした。
でもさーちゃんの状態は変わっていきませんでした。
突然起きた出来事に、暗い気持ちと恐怖、そして祈る気持ちを持って、とにかく毎日搾乳した母乳を届けに病院へ通っていました。
数週間経って、さーちゃんはプラダー・ウィリー症候群という病気だと診断されました。
およそ1万人〜1万5千人に1人といわれる希少難病。
どんな病気なのかネットで情報を調べると、代謝異常、肥満、低身長、発達障害、異常行動などの行動特性…
私は凄く怖かった。未来が真っ暗になった気がした。
私たちとさーちゃんは、これから何を抱えて生きていくことになるのだろう。
毎朝目が覚めると、ああ、やっぱり夢じゃないんだ、と暗く重い気持ち、言い表せないほどの恐怖を感じていたことを覚えています。
でも私は授かった。
発達がゆっくりなさーちゃんと共にこれから前を向いて生きていこう。そう考えながらとにかく毎日病院へ通い、経管栄養のやり方を習い、産まれてから2ヶ月半経った頃に鼻にチューブを付けたまま、さーちゃんは退院しました。
退院してからこれまで
退院してからも経管栄養をしていたので、定期的に訪問看護で看護師の方たちがサポートに来てくださったり、定期的に病院へ通って引き続きサポートを受けたり、そのうちに成長ホルモン治療も始まって注射の仕方を覚えたり、発達を促すために療育センターに通ったり。
出産前には考えもしなかった生活が待っていました。
産まれたときからこれまで、たくさんの方たちからのサポートを受けて、さーちゃんはここまで歩んでくることができました。
乳幼児期には同じ月齢の子たちよりも発達に2倍くらい時間がかかると言われ、実際にさーちゃんはゆっくり成長していきました。
学校に通うようになると、プラダー・ウィリー症候群の行動特性と言われるものも出てきて、特別な理解や配慮をお願いすることも必要になり、集団の中で生活していく難しさも実感しています。
これからも共に〜太陽のような娘と〜
ここに来るまでに色々な気持ちになりました。
そしてそれはこれからも同じだと思います。
でも、さーちゃんと過ごしていく中で、8年前に病気がわかったときに感じた暗く重い気持ち、恐怖は全くなくなっていました。
さーちゃんは、いつでも明るく優しく頑張り屋さん。
難しい特性も色々とあるけれど、いつでもまっすぐに一生懸命で、純粋で、食べることが大好きな可愛い女の子。
私たち家族をいつでも明るくしてくれる太陽のような存在です。
さーちゃんは私が今まで気づくことができなかった世界をたくさん見せてくれています。
さーちゃんには特性がたくさんあり、これから社会の中で生きていくために身に付けていかなければいけないことがたくさんあるけれど、
私も同じ。
人としても母としてもまだまだで、日々反省したり不甲斐ない思いをしたり。
これからも、さーちゃんと共に、失敗したり反省したりしながらも、少しでも少しづつでも良くなっていくようにと毎日を積み重ねて、一歩一歩、歩んでいきたいと思います。
頑張る娘と家族を食事で支えたい
このブログでは、そんなさーちゃんと共に過ごす中で強くなった
「毎日の食事を大切にしていきたい」
「頑張るさーちゃんと家族を食事で支えたい」
という想いを胸に、主に日々の食事のことを綴っていきたいと思います。
長い文章、最後まで読んでくださりありがとうございます。
次の記事で食事への想いを綴ります。